Biography
                          
 

くつ
(バイロイト・
リヒャルト・ワーグナー
博物館所蔵)
1813 ライプツィヒにてリヒャルト・ワーグナー誕生。
生後6ヶ月で父が病死。
1814 母が再婚。一家はドレスデンへ。
1821 養父の死。
1822 聖十字架学校に入学。《魔弾の射手》に熱狂。
1826 ギリシャの古典やシェークスピアに親しむ。
1828 ベートーヴェンの音楽に接し、音楽家を志す。
1830 ベートーヴェンの《第九》のピアノ・スコアを作成
1831 ライプツィヒ大学に入学。ヴァインリヒに
師事し、和声・対位法等を学ぶ。
1832 《交響曲》ハ長調を完成。
1833 ヴュルツブルグへ。遍歴時代の始まり。
1839 ロシアの地方都市リガから、パリへ。
1840 窮乏生活。『パリ音楽時報』に寄稿を開始。《リエンツィ》完成。
1841 ドレスデンより《リエンツィ》の採用通知。《さまよえるオランダ人》完成。
1842 第1次パリ滞在を経て、ドレスデンへ。《リエンツィ》初演。大成功。
1843 《さまよえるオランダ人》初演。王室ザクセン宮廷指揮者に就任。
1845 《タンホイザー》完成、初演。
1848 母の死。《ローエングリン》完成。

 

かばん
(バイロイト・
リヒャルト・ワーグナー
博物館所蔵)
1849 ドレスデン革命に参加、スイスへ亡命。
51年にかけて数々の論文を発表。
1850 《ローエングリン》ヴァイマルで初演
1852 ヴェーゼンドンク夫妻と知り合う。
1853 《ニーベルングの指環》4部作の台本を私費出版。
1854 《ラインの黄金》完成。
1856 《ヴァルキューレ》完成。
1857 ヴェーゼンドンク邸に隣接する避難所
(アジール)に移住。
1858 「避難所」を去りイタリアへ。
1855 ロンドン楽旅の途路にパリ万国博を見学。
1858 マティルデと別れ、ヴェネツィアで《トリスタン》の作曲に没頭。
1859 半年間ルツェルンに滞在し、《トリスタンとイゾルデ》を完成。
1860 ザクセン以外のドイツで追放解除。自作の演奏会(3回)。
1861 《タンホイザー》(パリ版)オペラ座で初演。 妨害にあうが、ボードレールが強い関心を寄せる。 ヴェネツィアでティツィアーノの「聖母昇天(アスンタ)」に出会う。
1864 ルードヴィヒ2世、ワーグナーをミュンヘンに招聘、王宮にて謁見。
1865 《トリスタンとイゾルデ》初演。
政治的スキャンダルとコジマとのスキャンダルが重なり、ミュンヘンを退去。
1866 別居中の妻ミンナの急逝後、ルツェルン郊外トリープシェンに移住。コジマも同居。
1867 《ニュルンベルクのマイスタージンガー》完成

 
1868 ミュンヘンで《マイスタージンガー》初演。《ジークフリート》の作曲を再開
1869 長男ジークフリート誕生
ミュンヘンでワーグナーの意志に反し《ラインの黄金》初演
1870 ミュンヘンでワーグナーの意志に反し《ヴァルキューレ》初演。
コジマと正式に結婚。《ジークフリート牧歌》完成。
1871 《ジークフリート》完成。バイロイトを訪れ、祝祭劇場建設を決意。
1872 バイロイトに移住。祝祭劇場定礎式。 同日、辺境伯劇場での記念演奏会で《第九》を指揮。
1874 私邸バーンフリート完成。《神々の黄昏》が完成し、 《ニーベルングの指環》4部作、遂に完結。
1876 《ニーベルングの指環》4部作の初演。 9月から12月にかけて、イタリア各地で保養。
1880 主にナポリに滞在し、画家の
ジューコフスキーと知りあう。
《パルジファル》への造形的な
インスピレーションを得る。


ワーグナーの右手、
ブロンズ
(バイロイト・
リヒャルト・ワーグナー
博物館所蔵)
1881 11月から翌年4月までパレルモ、
ナポリ、ヴェローナ、ヴェネツィア
に滞在。
パレルモでルノワールのモデルとなる。
1882 《パルジファル》完成。
祝祭劇場で初演。ヴェネツィアへ旅立つ。
クリスマスに、ラ・フェニーチェ劇場で
旧作《交響曲》ハ長調を指揮、
生涯最後の指揮となる。
1883 2月13日、滞在中のヴェンドラミン館で
死去。享年69歳。
              



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